2012年5月8日火曜日

囲碁の坂井秀至八段は、プロ入りの時にどうしていきなり五段になれたのでしょうか。

囲碁の坂井秀至八段は、プロ入りの時にどうしていきなり五段になれたのでしょうか。

どういう特例があったのでしょう。







坂井秀至氏は、小学生の頃から囲碁の才能を見出され、関西棋院の結城聡九段と共に、藤沢秀行名誉棋聖の指導をたびたび受けるなど、本来であれば「関西棋院か日本棋院の院生になって、中学生の頃にプロ入り」していて全くおかしくない人でした。



なお、囲碁界では、タイトル戦で活躍するような強豪棋士は、中学生で入段=プロ初段になっているのが普通です。



ですが、坂井氏は、父が産婦人科の開業医であったこともあり、囲碁棋士になる道を選ばずに、灘中・灘高を経て京大医学部を卒業しました。医師国家試験に合格し、産婦人科の研修医になることが決まっていたそうです。

※ 医者の息子は、周囲から「医者になれ」という非常に強い圧力を受けるのが常です。親が開業医の場合はその度合いが強まります。



坂井氏は、京大在学中にアマチュア囲碁界で活躍し、世界選手権で優勝するような顕著な実績を重ねていました。この「大学時代の実績」と、「本来であれば、中学生で囲碁棋士になれた人であったと囲碁関係者が良く知っていた」ことから、



「関西棋院で特別棋士採用試験を行う。4戦して1勝すれば初段、2勝すれば三段、3勝すれば五段」

という条件で試験を受け、4戦全勝して、「飛び付き五段」として、関西棋院のプロ棋士になったものです。



関西棋院のこの特例判断は、その後、坂井氏が



「名人戦リーグに連続7期在籍」

「七大タイトルの一つである碁聖を獲得」



と、関西棋院のトップ棋士である結城九段、今村九段らと同等以上の活躍をしていることから、大成功だったと言えるでしょう。








アマチアで世界一に成った人だからです。

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