2012年4月29日日曜日

再び将棋と囲碁の比較について。将棋は囲碁に比べて「大局的ではない」のでしょう...

再び将棋と囲碁の比較について。将棋は囲碁に比べて「大局的ではない」のでしょうか。よろしくお願いします。

ある人(実は私の上司)が言うには「将棋も難しいが囲碁の方が大局的だな。」またある人(私の恩師)は「将棋はある部分で悪くなるともう駄目だけど、囲碁だと別の部分で取り返せるので、私は囲碁が好きだ。」

二人とも囲碁の実力はそこそこのようですが、将棋は私(アマ三段くらい)の方がかなり上だと思います。(指したことはありませんが)私は囲碁はほとんど知らないので、「囲碁は大局的だ」というのならそうだと思うのですが、同時に「将棋だって大局的なんだ。へぼなだけでしょう。」という気持ちを抱かずにはおれません。(勿論口には出しませんが)

「大局的」という意味も漠然としていますが、例えば将棋では、「香損しているが、相手が歩切れで拠点を築いているのでこれで勝負」「大駒を切ってしまっているが、攻めが切れず自陣も堅いので優勢」「うまく攻めが決まったようだが、遊び駒が多いので形勢はむずかしい」というように大局的な判断が求められることが多いように思うのです。いかがでしょうか。







まず私は将棋は田舎四段ですが、囲碁はルールを知っている程度で30級くらいですのでそのつもりでw



「大局的」という言葉がどういうシチュエーションで出たのかわかりませんが、確かに一般的なイメージとして将棋は局地戦、白兵戦、対して囲碁は陣地戦、という捉え方をされていると思います。将棋は大体の場合歩と歩がぶつかりあうところから戦いが始まり、そこでどれだけの実利を上げられるかが勝負の大きな分かれ目になります。だから狭い世界の戦いといわれればそうかもしれませんが、反面質問者さんが例を挙げておられるとおり大局的な判断を求められる場合だってあります。



誤解を恐れずにいえば、下級であればあるほど戦いの世界が狭く、上級になればなるほど世界が広くなっていくのだと思います。



長々書きましたが、将棋の場合でも形勢判断は駒の損得、玉形の堅さ、手番、駒の効率など様々な要素を総合してなされるもので、局地戦の結果が全てではありません。



将棋が大局的でない、とは私は思いません。








良く分からないのですが部分が全てに影響するのが大局的という意味なら囲碁、将棋のどちらも同じと思います。



ただ、同じ「大局観」でも考え方が違うだけかと。

質問者さんも将棋の有段者ですから分かると思いますが、将棋の場合、駒の損得、駒の働き,玉の固さ、他、色々な要素を大局的に考えながら形勢判断をしていきます。



また端歩の位置一つで仕掛けが成立したりしなかったり、寄せ合いでの速度争いに影響が出たりと局面〔部分)が全局〔盤面全体)に影響する事も良く有ります。



まだ私の場合、碁はヘボなので絶対とも言えませんが囲碁も石や地を捨てて厚みを得たりみたいに最終的には地の争いとは言え、やはり色々な要素で形勢判断する大局観が必要と思いますし、片方〔部分)で損をすると全体に影響が出ると言うのはプロ棋戦の解説を見聞きしてると良く言われてます。





個人的に囲碁の方が・・・とか将棋の方が・・・とか言う人は、その時点で、少なくともどちらかはヘボなんだなと思う事にしてます。







>将棋はある部分で悪くなるともう駄目だけど、囲碁だと別の部分で取り返せる

こういう考えはあまり大局的でないといえます。碁は部分部分が関連して盤面全体が出来ているが、将棋は例えば居飛車振飛車対抗形の玉の囲いの反対側は荒れるに任せてあまり顧ない、そういう意味でお二人は言っているのだろうと推測します。碁将棋どちらにしても、素人は大局観を持ち合わせていないように思います。私はむしろ将棋指しがどのように形勢判断するのか不思議に感じます(まさか駒数を数えるわけじゃあないだろうに)。







大局的とよく言われるのは,囲碁は初めに大局観を学ぶからかと.



将棋の場合,基本定跡と詰めなどの終盤力を勉強していきます.

強くなれば必至や次の一手など深く勉強していきます.

要は弱い間は大局観と言う事を意識しない人が多いです(意識してないから弱いのだけれども).



反して囲碁は初めから大局観を学ぶことになります.

囲碁においても,定石や石の生き死になどを勉強することとなりますが,

一方,(置き碁などの)対局において,局部を見るのではなく全体を見るように注意されます.



将棋が王という目標があるのに対して,囲碁には明確な目標はありません.

覚えたてだと相手の石を取ることに集中してしまい,結果他の場所で地をとられ大敗するなんて事が良くあります.

将棋の王と違い,囲碁において大切なのは地という抽象的なものなのです.

明確な目標がない分,全体を見ることが重要で,それなしでは全然強くなれないんです.

(反対に将棋は王を目指していくので初め大局観はさほどいりません.)





まぁ,最初にすこし言っていますが,

将棋もより強くなるために全体を見渡せる能力が必要になるし,

やはり,囲碁もより強くなるためには生き死になどを正確に読む力が必要になります.



そんなところかと.







★囲碁だとほかのところで取り返せる・・・



それは囲碁の、地の多いほうが勝ちという『量的』なゲームの性質上あたりまえといえば当たり前だと思います。

『質的』なゲームの将棋では「王様を取られたから別の駒を取り返そう」という訳には行きませんから。



★囲碁の方が大局的・・・



単純に囲碁の方が将棋より盤が広いので、手の可能性は圧倒的に囲碁の方が多い。ただそれを「大局的」っていうのはよくわからない表現ですね。

大局的というより、「局地的な攻防が量的に将棋より多い」というのなら納得です。





私の個人的な意見ですが、将棋はまさに質的に「大局的」なゲームだと思います。それは「局面全体が一つの目的=相手の玉を詰ますことに向かってダイナミックに連動している」からです。つまりAという局面のなかで、Bの要素・Cの要素が複雑に絡み合って、局面Aを動かしている。さらに盤外には持ち駒も待機し、より複雑さが増している。盤全体が一つの生命活動をしている、

そんなイメージでしょうか。



それに対して囲碁は、「局地的な戦いの集合体」のように感じます。例えば上辺の戦いは上辺の戦い。下辺は下辺。また、一度置いた石は動きません。もちろんそれらを連絡するとか、囲碁も大局的なものだと思いますが、やはりA+B+C・・・のような、

局面を足し算で組み立てていくイメージがあります。



どちらのゲームが好きかは、人それぞれでしょうが、私は将棋の方がダイナミックで魅力を感じます。



私はなぜ囲碁棋士に女性が多く、将棋の棋士(奨励会を抜けて四段になった棋士)に女性が一人もいないのか、その原因はこのあたりにあるような気がします。女性向き、男性向き、あるいは性差の関係ない部分など、そういうものは脳の能力として存在するのだと思います。

女性は局地的で静的なものを論理的に考えるのが得意であり、男性は大局的でダイナミックなものを空間的、イメージで考えるのが得意、という一般論が、ここでも当てはまるような気がするのです。

蛇足ですが、これは囲碁を差別するでも、女性差別するでもないことを付け加えておきます。







私は囲碁は弱いのですが、ちょっと書かせていただきます。

大局的というのは、たとえば、シチョウというものがありますが、ひとつの隅のシチョウの具合が反対側の隅の配置に影響します。

また、将棋と違い、囲碁は序盤早々から、至る所で敵の石との戦いが始まりますが、ある部分の戦いが面積を広げて多方面の戦いに影響を及ぼします。その関連をいかにするか難しいようです。

将棋は、序盤ではほとんど敵との接触がありません。中盤になって接触し始めても、2,3箇所の戦いに集約されます。

私は将棋はそこそこ指せるのですが、囲碁をはじめて一番困ったのは、いろいろな争点とその関連性をいろいろ心配しなければいけないので、囲碁はとても疲れるということです。

つまり、将棋は局所的で、囲碁は大局的だということで、囲碁は疲れるゲームだと実感しました。

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